2/24の朝4時20分にイワユウの母が亡くなりました。
ガンとの闘病の末、最後まで苦しみながら息を引き取りました。
人生最後の大仕事となってしまいましたが、闘病という最悪で最低な仕事を最後までやり遂げた母を偉大だと思います。
釣りやこのブログをすることができたのは母のお陰です。
釣りから帰ると釣果をたのしみにしてくれていた母がいたからこそ熱中した釣りです。
アジを阿呆みたいに沢山釣って帰ると「これどうすんの~~~・・・」と肩を落しながらもうれしそうにアジを見る母がいたお陰です。
メバルを裁いて調理して食べさせると心から喜ぶ母がいたお陰です。
闘病中にメバルの煮つけを人生イチウマそうに食べる母が居ました。
そんな母と一度、社会人になってから釣りに行ったことがあります。
体を悪くした父も一緒にいました。
サヨリのライトロッド餌釣りです。
イワユウよりも父よりも誰よりも熱心に釣りをして魚が釣れた事を誰よりも喜んだ姿を今でも覚えています。
母が亡くなるまで自室水槽の水質が悪く泡が出ないようになっていたのですが、亡くなって式前に自宅に戻ったときに目を疑いました。
泡が復活していました。
水質がよくなっていました。
その後、自宅で昼食を取りながら風呂場に入っていく影を見ました。
スグお風呂を沸かし、風呂蓋を半分あけて何時でも入れるようにしておきました。
布団を3箇所敷いてどこでも寝られるように準備しておきました。
仏壇には飲むのを最期まで我慢していたお酒の封を開けて備えておきました。
好きだったチキンラーメンを作っていつも座っていたポジションのテーブルに置いておきました。
通夜会場に移動してから念願だった母と初めて乾杯できたのは涙が出るほどの至福でした。
そして闘病中に母は「友達を大切にしろ」と言っていました。
喪主を務め、母と面通しのあった親友アフロマン、ダイモン、ヤスベエも参列してくれ
棺に横たわる母に久々に会ってもらい
「いい友達いるだろ?」
って自慢できました。
泣かないと決めていたんですがね、仲間の気遣いに胸を借りました。
式が終わって帰宅後、備えていたチューハイを一口もらったのですが、
「炭酸が抜けてなかった」事も驚き。
積もる話は長くなるのでこのあたりで。
色々ゴタゴタもありましたが無事に式も終わり、四十九日の間、母追悼のため釣りに行きません。
再会をお待ち頂けますようよろしくお願い申し上げます。
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